惡の華

『悪の華』には、テオフィル・ゴーティエへの献辞が記(しる)されています。 ですがこの詩集は、『悪の華』を訳したものとは到底言えません。        オリジナルの内容・文章・文脈・単語など大胆に変更しています。また、        ボードレールの真骨頂との言える韻への配慮も行っていません。        詩の真意から外れないことには、出来る限り気を使いました。 そしてとにかく、分かりやすく面白いものにしようと仕上げました。        そう言う意味では、『悪の華』へのオマージュであると思っています。  

『悪の華』には、テオフィル・ゴーティエへの献辞が記(しる)されています。 ですがこの詩集は、『悪の華』を訳したものとは到底言えません。 オリジナルの内容・文章・文脈・単語など大胆に変更しています。また、 ボードレールの真骨頂との言える韻への配慮も行っていません。 詩の真意から外れないことには、出来る限り気を使いました。 そしてとにかく、分かりやすく面白いものにしようと仕上げました。 そう言う意味では、『悪の華』へのオマージュであると思っています。 そのような次第で、テオフィル・ゴーティエへの献辞は省略することにしました。 文中、極めて不道徳で不適切な単語や表現を使っています。 予め、ご承知ください。        ちなみにテオフィル・ゴーティエへの献辞は、次のようなものです。        『完全なる詩人         フランス文学の完璧な魔術師         わたしが敬愛する         先生であり友人でもある、         テオフィル・ゴーティエに         この上ない尊敬の         思いをこめて         これらの病んだ花々を         捧げます』 ボードレールは、人間を『退屈』に住む『悪』だと思っていたようです。 『悪』を詠えば、人間の本質に迫れました。 『悪』はまた、衝動的で扇動的で曖昧でした。 衝動的で扇動的で曖昧なものは、おもしろおかしく好き勝手に扱えました。 『悪』は、『滑稽』にも『美』にも、『神』にさえなれました。 こうして人間は、『滑稽』や『美』や『神』に変えられました。 ボードレールのやったことは、つまるところそれだけのことです。 構えて読むと馬鹿をみます。 では、ボードレールの言葉遊びの世界に一緒に浸りましょう。        
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